身につけたものは なくならない (5月)
―The habits we cultivate are our treasures for a lifetime.―
生まれたばかりの赤ちゃんは、ほとんど何もない真っ白な状態であるといいます。その状態から毎日少しずつ少しずつ目で見たり聞いたりして情報を集め、両親の話す言語を使いこなすようになっていくのです。私達人間は生まれた瞬間から、知らず知らずのうちに多くの事を学び習得しています。これは本当に不思議な事です。この赤ちゃんの言語習得については生物学的にも未だにどのように習得しているのか結論が出ていないそうです。しかしこれだけはいえると思います。両親や周りの人々が言葉や生活の方法を手を掛け、心を掛けて習慣付けてくれたおかげで言葉が使え、今を生きる事が出来ているのです。
このように、生まれた時から多くの事を習慣として習得している私達ですが、習慣という言葉には2種類あるようです。近頃、書店に行くと「○○の習慣」というような本を良く見かけます。このような本には必ずと言ってよいほど「良い習慣」と「悪い習慣」2種類が対比されているのです。それには法則があって「良い習慣」には多少なり努力が必要であるが、良い結果を得ることが出来る。反対に「悪い習慣」は、怠けや少しでも楽をしたいという心が働き決して良い結果には繋がらないとなっています。
習慣というものは一度身に付けてしまうと簡単にリセットする事は出来ません。それが「良い習慣」であれば宝物になりますが「悪い習慣」であれば…。私達はどうしても日々の生活の中で、良くはない事だと分かっていても、怠けたいと思う心や楽をしたいと思う心が出てきてしまいついついその心に流されてしまうものです。
しかし、そんな私達だからこそ浄土宗のお念仏の教えはありがたいものになってくるのです。法然上人はそんな私達の心の動きを見通され、「人の心というものは、何かを見たり聞いたりするその度に移り散ってしまうものです。ですから他の事に心が奪われてしまい、お念仏の事を思い続けるのは難しいものです。日課念仏の数を多く定めて、いつもお数珠をお持ちいただければ、それでお念仏をしようと心がけている事になるのです」とおっしゃっています。「心がける」という事は努力するという事です。毎日の努力によって次第に身に付き習慣になっていく。赤ちゃんがだんだんと言葉を理解して使えるようになるが如く、私達も日々の習慣としてお念仏がおとなえ出来るようになりたいものです。そうして得た習慣は必ず一生の宝物になる事でしょう。
(長野市真島町 善法寺 石川暁光)