乾いた心に 慈雨の念仏 (6月)
―Nenbutsu is blessed rain on a dry heart―
『あなたのお肌に潤いと保湿を~』化粧品のコマーシャルでよく見聞きするフレーズである。眼に見える「乾き」というものは何か手を加えてやればいつしか潤うものであるが、眼には見えない「心が乾く」とは何だろうか?「悲しい・辛い事があった時のこと?」考えてみるがよくわからない。
しかし言葉を変えた「乾いた心」とは『満たされないままの心』ではないだろうか。決して「自分勝手な欲求が満たされないまま」ではなく、「あることが心に引っかかって満たされないまま」という意味である。そう考えると、以前、私の心が「乾いた心」であった事がある。
平成23年8月、私の祖母が御往生した。祖母は癌に侵され平成22年11月頃から入院生活を続けていたが、私はお見舞いにあまり行かなかった。というよりも、ポカーンと口を大きく開けながら、眉間に皺を寄せて痛みを耐えている祖母の姿を見るのが辛くて行けなかった。「おばあちゃん、ごめんなぁ」と直接は言えないまま、祖母は御往生された。
そんな心の引っかかりを抱いたまま過ごしていたが、翌平成24年に大本山・百萬遍知恩寺の式衆会との御縁を頂いた。その式衆会の活動の一環で、毎月15日の「大念珠繰り法要」に参加させて頂いた時のことである。
私の目線の先にポカーンと口を大きく開けて座っているお婆さんがいた。その方が病気を患っている訳ではないが、入院中の祖母の姿が蘇ってくる。思わず目線を逸らしてしまったが、数珠繰りが始まったらどうだろうか。「なむあみだーぶつ」と口を動かし数珠を回してお念仏されている。終始そのお婆さんを見ていると、今度は祖母が元気な頃に毎朝阿弥陀様に向かってお念仏していた姿が蘇ってきた。さらに念珠繰りに参加されている方々のお念仏を聞いていると『怒ってなんかないよ。一緒にお念仏しよう』と極楽にいる祖母の声なき声が聞こえた、そんな気持ちになれた。私の満たされないままの「乾いた心」に、お念仏が暖かく優しい雨を降らせてくれたのである。体は疲れていても、スッキリとした気分で百萬遍を後にしたことを今も覚えている。
「おっさん(=お坊さん)のお念仏ありがたいわ~」と、お参りに伺った際にお檀家さんに仰って頂くことがあるが、私にとってはお檀家さん一人ひとりがおとなえされるお念仏が何よりもありがたい。そんなお念仏の一声一声から身体に元気を、心に潤いを頂いて私はお念仏を申させて頂いている。
(大阪府貝塚市 上福寺 瀧俊悟)