受けた御恩 忘れまい (8月)
―Let us not forget the blessings we have received.―
この言葉を見た瞬間、私はこれまで自分を支えてくださった方々の顔を思い浮かべました。今の私があるのはたくさんの御恩を受けたからですので、「絶対に忘れないぞ」と心に決めました。しかし、同時に「それだけでいいのか」という思いが脳裏をよぎり、私が仏門に入る決意をした5年程前のことを思い出しました。
当時の私は、大学受験を控え、いわゆる無気力症候群というものに悩まされ、ただただ布団に籠り、世間と関わりたくないという状態に陥っておりました。もちろん夢や希望なんて持っておりませんでしたので、未来を見出すことも出来ませんでした。そしてついに「私は、社会に必要のない人間かもしれない」と感じるようになってしまったのです。しかしそんな私を変えてくれたのは僧侶である叔母の「つまずいてこそ出会う」という言葉でした。
この世界は迷い苦しみの世界、誰しもつまずいてしまうことがあります。しかしつまずいたからこそ、出会うご縁もあるというのです。どうしようもなかった私でも、今があるのは、家族や友人はじめ、多くの方々に支えられているからということに気づきました。
また叔母から、どのような人でも必ず平等に救ってくださる「阿弥陀さま」という存在を教えていただきました。
阿弥陀さまは「南無阿弥陀仏」ととなえる人はどんな人も見捨てず、大慈悲によって私たちを救い導いてくださる仏さまです。私はその阿弥陀様が、こんな私でも救ってくださることに、言葉に表すことのできない温かさを感じ、そして大変ありがたいと深く身にしみました。そこから私は仏教に興味を持ち、そして叔母の僧侶としての姿に憧れるようになりました。私がそうであったように、一人で悩みを抱えている人に寄り添える僧侶になろうと、仏門に入る決心をしました。まさに、つまずいたからこそ自分の進むべき道に出会うことが出来たのです。
「受けた御恩 忘れまい」
今までの御恩を忘れることは出来ません。そして同時に、受けた御恩を心に留めておくだけではなく、困っている人がいれば助けたいと思いますし、私も困っていれば誰かに助けて欲しいと感じます。人は決して一人では生きていけません。誰かに支えられていると思えば、受けた御恩を誰かに送りたくなります。これは「感恩奉仕」の精神です。受けた御恩を忘れず、さらにそこから一歩踏み出す行動もまた大切なことではないでしょうか。
(福島県桑折町 無能寺 赤坂明翔)