月かげ
この和歌は法然上人が詠まれた「月かげ」のお歌です。
月の光はすべてのものを照らし、里人にくまなく降り注いでいるけれども、月を眺める人以外にはその月の美しさはわからない。阿弥陀仏のお慈悲のこころは、すべての人々に平等に注がれているけれども、手を合わせて「南無阿弥陀仏」とお念仏を称える人のみが阿弥陀仏の救いをこうむることができる・・・という意味です。
法然上人は「月かげ」のお歌に、『観無量寿経』の一節「光明遍照 十方世界 念仏衆生 摂取不捨」のこころを説き、私たちにお示しくださったのです。
法然上人の教えは、厳しい修行を経た者や財力のある者だけが救われるという教えが主流であった当時の仏教諸宗とは全く違ったものでした。
「南無阿弥陀仏」と称えればみな平等に救われる・・・。法然上人のみ教えは貴族や武士だけでなく、老若男女を問わずすべての人々から衝撃と感動をもって受け入れられ、800年を経た今日も、そのみ教えは多くの人々の「心のよりどころ」となっているのです。
一百四十五箇条問答
仏教が日本に伝来したのはおよそ千五百年の昔。最初は貴族や学問僧だけのものだった仏教が本当に民衆化し、人々心の支えになったのは、鎌倉時代だったと言われている。その先駆けとなったのが浄土宗の開祖・法然上人でした。
当時、多くの人は字を読むこともできず、仏教の難しい教義を理解することもできませんでした。また、多くの迷信や因習にとらわれ、意味のない女性差別やタブーが横行していました。
そうした状況の中で、人々は本当の救いがどこにあるのかと悩んでいたのでいたのでした。その悩みや疑問に法然上人が自ら答え、正しい念仏に導くための問答集が、『一百四十五箇条問答』です。
ところでこうした迷信や因習は、はたして過去のものでしょうか。いたずらに人をおとしいれる怪しげな健康法や占いがはやる現代においてこそ、信仰のありかたが端的に示された『一百四十五箇条問答』の意味があるのです。
承安五年(1175)の浄土宗宗祖から二十数年を経て、上人のもとには、おびただしい人々が教えを受けに訪れて来ました。この問答集に収められた質問は、そうした人々の疑問を代表するものだったのでしょう。