往生を願って 南無阿弥陀佛
―Putting complete reliance in Amida Buddha’s compassion,
let us chant Namu Amida Butsu.―
秋の運動会。澄み渡る空のもと、熱気を帯びた校庭に軽快な音楽が鳴り響き、歓声がこだまする。応援席では父兄たちのカメラやビデオ、スマートフォンのレンズが思い出の一コマ、その一瞬を逃すまいと踊る。僕は来ているはずのお父さんとお母さんをレンズの向こうに探している―。
写真を撮ることで何かを忘れないようにしても、それが逆効果になるとの研究が発表されています。
心理学者リンダ・ヘンケル氏は、学生を美術館に連れていき、館内の作品をカメラで撮影してもらうグループと、写真は撮らず記憶に刻みこんでもらうグループに分け、写真撮影と記憶の関係性について実験を行いました。
その結果、作品を写真に収めていた人は目で見た(記憶した)人にくらべ、作品に対する印象が曖昧で、詳細な記憶に乏しいことが判明しました。
氏はこれを「写真撮影減殺効果」と名付け、「物ごとを記憶するために技術の力に頼ると、自分自身で積極的にそのことに参加しなくなり、結果的に経験を覚えることにマイナスの効果を与えかねない」と結論付けました。
スマートフォンの普及でいつでも簡単に記録を残せる時代ですが、大事なできごとや情景を記憶し、心にとどめるには、ファインダー越しの〝カメラの眼〟より、自身で積極的に参加して直接目に焼き付けるという〝心の眼〟が大切です。
すべてを救い摂る阿弥陀さまのお慈悲と功徳が込められた「南無阿弥陀仏」のお念仏。その心構えとして法然上人は、阿弥陀さまを信じ、心からすがって「お救いください」との気持ちでとなえるようにとおっしゃっています。そのような心からの素直な願いが、阿弥陀仏の誓いを信じることにつながるのです。そうして私たちは、すべてを阿弥陀さまにおまかせすることで、極楽浄土への往生という救いを確信し、心安らかで充実した毎日を過ごすことができます。肝心なことはファインダー越しでなく、自分の肌でしっかりと感じて能動的にとらえ、心を振り向けて南無阿弥陀仏とおとなえすることなのです。
人垣の隙間から背伸びをしてトラックを見回すと、体操着に紅と白の帽子をかぶった子どもたちはまるで区別がつかない。うむ、今はカメラをしまっておこう。そして輝きの中で我が子と目が合ったなら、ひときわ大きな声で声援を送ろう。こころ豊かに。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……。
(東京都新宿区 専念寺 布村伸哉)